2015.9.27

世界遺産・宇治平等院

世界文化遺産に登録された京都宇治・平等院は2012年から1年半かけた修復工事が終わり、
鳳凰堂が鮮やかな朱色をとり戻しています。




宇治平等院

 車では京滋バイパスの宇治西ICで下り、市内方向を避けて宇治川に沿って走る方が市内混雑を
避けられます。宇治の街中には駐車場が少ないので、平等院へ車で訪れるのには南門の前の広い
駐車場を利用するのが一番便利です。宇治橋の処からは平等院を迂回して南側へ向かいます。
 南門を入ると、鳳凰堂の裏側にある2つの搭頭・浄土院と最勝院を巡ってから鳳凰堂の表へ回るのが順路になっています。
 今回は、鳳凰堂の内部拝観の予約を急ぐために、順路をすっ飛ばして池の北側にある拝観受付へ直行し、予約を済ませてから再び順路に戻ってきました

鳳凰堂の裏側。鳳凰堂はT字型に後に突き出し部がありました
修復なった屋根の上の鳳凰。下の鬼瓦に目がとまった 浄土院

救世船乗観音は旅の安全、人生の旅の安全を願ってお参りします
最勝院の本堂(不動堂) 不動堂の庭の隅に、ここで自刃した源頼政のお墓があります
藤原氏から平氏(武士の世)への時代の変遷の証

鳳凰堂の裏側

最勝院の門を出て、鳳凰堂の横手へ出ます
鳳凰堂への渡り橋があります。ここからお堂の内部に入れます
内部拝観の申込み(予約)受付窓口です。
 今日は行楽の秋の日曜日なので人出も多く、鳳凰堂の内部拝観には長時間待たされるのではないかと心配しながらやってきました。
 平等院の門を入ってすぐにこの拝観受付へ直行して予約(\300円)をとりました。幸いに1時間ちょっと待ちで入れることになり、庭園と搭頭を一周して戻ってくれば丁度の時間でした。
 鳳凰堂の入口から内部は写真撮影が禁止されているため、内部の阿弥陀様の像や壁面の雲中供養菩薩(52体の雲に乗った仏さまの像)などの写真は残念ながらありません


内部拝観が終わって振り返る
正門の方へ向かい、門の手前右手に入った所に・・・・
「扇の芝」と呼ばれ、源頼政が平家打倒に失敗して自刃した所
花さきて 実となるならば 後の世に もののふの名も いかで残らむ 「観音堂」 拝観が停止されていました 風が無くて池面にきれいに姿が写っていました
屋根瓦や柱の朱色が新しく修復されて見ごたえあります
両翼の回廊は中央のお堂とは建物が繋がっていないのですね お堂の中の阿弥陀様の顔だけが外側から拝めるようになっています 屋根の上の鳳凰も金ピカに輝いています。
本物は鳳翔館で展示
鳳凰堂の内部の壁画などは復元修復はされていません
風が少し出てきて波面に写る姿がまた美しい 扉に描かれた画も下の方は消えてしまっています
ミュージアム「鳳翔館」の内部も写真がありませんので、素晴らしい美術品類は実際に足を運んでいただくか、平等院のホームページでご覧ください

両翼に広がった建物は飾りだけのものですね
日本三銘鐘の一つ(本物は鳳翔館に展示)




宇治上神社へ

 宇治川沿いの店で昼食を済ませ、宇治川の中洲の公園を抜けて、対岸の宇治上神社へ向かいました。

鵜飼船もシーズン終わりです。川の緩やかな流れに注目
喜撰橋を渡って「搭の島」へ渡ります 「十三重石塔」 宇治川の氾濫で何度か流された これが宇治川本流の激しい流れ
朝霧橋を渡って対岸へ
源氏物語の世界へ近づいてきました
宇治神社の鳥居 石段の上に拝殿が見えています
石段の上から振り返る。左手に「手水舎」が見えます
手水舎は宇治七名水の一つ「桐原水」です 宇治神社の本殿。 学業、受験合格の神様です 応神天皇の皇子菟道稚郎子(うじのわけいらつこ)を祀る
「さわらびの道」宇治神社から源氏物語ミュージアムへと続く
宇治上神社  参道を進むと神社らしくない小さな門が現れた 門をくぐると社殿が見えます
こちらは拝殿です 
鎌倉初頭の寝殿造りで国宝です
菟道稚郎子命が道に迷ったのを導いた「みかえり兎」の伝説
こちらも宇治七名水の一つ「桐原水」です


祭神は、応神天皇とその皇子菟道稚郎子(うじのわけいらつこ)及び兄の仁徳天皇
この覆屋の中に本殿が三つ並んでいる珍しい形(国宝)です






 



アルバム

 


 写真をクリックすると
 ビュアーで拡大表示
 されます



 (最初から)



ビユァーのHELP

ブラウザについて



平等院
 1052年に関白藤原頼通が父道長の別荘を寺院に改めたものです。「鳳凰堂」は、その翌年に阿弥陀堂として建てられました。
 [鳳凰堂](国宝):極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面に映しています。大屋根には鳳凰が飾られ、堂内には金色の丈六阿弥陀如来坐像が端坐し、周囲の壁および扉には九品来迎図、阿弥陀仏の背後の壁には極楽浄土図が描かれています。そして長押上の小壁には52躯の雲中供養菩薩像が懸けられています。堂内の天井や梁は、宝相華を主とする文様で埋め尽くされ、柱にも天衣を翻して舞う天人や楽を奏する童子、飛び立つ鳳凰、宝相華、唐草文様などが描かれ、これらは鮮やかに彩色されていました。
 [観音堂](重要文化財):創建当初の本堂跡に建てられたとされる鎌倉時代初期の建築物。
 [扇の芝]:敷地内の北の端、観音堂の裏に、『扇芝』と彫られた石が置かれている。源頼政は平家打倒を掲げて挙兵して宇治で決戦に及んだが、衆寡敵せず平等院で辞世の和歌を残し、この場所で自刃したと伝わっている。
 [鐘楼]:平等院の「梵鐘」は神護寺、三井寺と共に日本三銘鐘の一つに数えられ、形の美しさで有名。
 
リンク)
公式HP
平等院・最勝院
 平等院塔頭2ヶ寺の1つで、本堂の不動堂の前庭の片隅には源頼政の墓があります。
宇治神社
 この辺りは応神天皇の離宮(桐原日桁宮:きりはらひけたのみや)跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)の宮居の跡と伝えられており、菟道稚郎子命の死後に兄の仁徳天皇によりその神霊を祀ったのが、この神社の始まりで、「離宮社」、「離宮八幡」などとよばれていました。
 祭神:菟道稚郎子が幼い頃から聡明で、百済で学問を極められたことから、学業、受験、合格の神様として崇められています。

リンク)
宇治上神社
 明治時代までは、隣接の宇治神社と二社一体で「離宮上社」と呼ばれていた。祭神は、応神天皇とその皇子菟道稚郎子(うじのわけいらつこ)及び兄の仁徳(にんとく)天皇とされている。
境内正面の拝殿(国宝)は鎌倉初頭のもので、寝殿造りの様式を伝えている。特に縋破風(すがるはふ)といわれる手法を用いた屋根の美しさは格別である。本殿(国宝)は、平安時代後期に建てられた、現存するわが国最古の神社建築である。三棟の内殿を一列に並べて、共通の覆い屋で覆った特殊な形式の建物、左右の社殿にある蟇股(かえるまた)も、その建築年代を推量するものとして重要である。
境内にはその他、鎌倉時代に建てられた春日神社(重文)などの摂社や、湧き水の出る宇治七名水のひとつ「桐原水」がある。

リンク)
京都府ホームページ
KYOTOdesignのページ
宇治公園
 宇治川の中州に浮かぶ塔の島・橘島(中の島地区)は京都府立の公園となっています。桜や紅葉が多く、市民の憩いの場所となっています。搭の島に立つ「十三重石塔」は高さ約15m、現存する日本最大の最古の石塔です。 720年前の鎌倉時代、奈良西大寺の高僧・叡尊によって、宇治川での魚捕りの殺生の罪を戒め、供養塔として建立されました。
桐原水
 宇治茶は室町時代に栄え、その宇治茶の象徴として宇治七名園が作られた。その際、お茶に不可欠な水にも「宇治七名水」が定められ、桐原水はそのうちの一つに数えられた。現在、他の六名水は失われたが、この桐原水だけが今なお枯れることなく涌き出している


宇治平等院周辺MAP