現存する木造天守12城 | Ocha's Photos |
鳥越城跡(福井県) 日本各地には戦のたびに城が築かれることもあって数しれないほどの城があったとされますが、徳川幕府の命で一藩一城とされてその数は大きく減り、さらに明治になって廃城令が出され、大半は天守閣が取り壊されてしまいました。現在、江戸時代の木造の天守が残っているのは12城のみです。歴史的な背景とも絡みあって木造の天守は日本の木造建築の代表的な遺産の一つであり、その内の5つの城が国宝の指定になっています。また明治以降に木造で天守が復元された城も5つあります。 これまで車で各地を旅行する度に近くの城を訪ね、12の残存天守のうち11の城を写真に納めてきました。それぞれ天守閣の美しさ、石垣の美しさのみならず、その立地や城の攻防の戦略的な工夫がなされた縄張りの特徴、お城を中心に人々の生活があった城下町の匂いを写真に納めましたので紹介します。 (2022.3) |
江戸時代の天守が残っている城 弘前城 (青森県) 松本城 (長野県)(国宝) 丸岡城 (福井県)井県) 犬山城 (愛知県)(国宝) 彦根城 (滋賀県)(国宝) 姫路城 (兵庫県)(国宝) 松江城 (島根県)(国宝) 備中松山城 (岡山県) 丸亀城 (香川県) 伊予松山城 (愛媛県) 宇和島城 (愛媛県) 高知城 (高知県) 明治以降に復元された木造天守 白石城 (宮城県) 白河小峰城 (福島県) 新発田城 (新潟県) 掛川城 (静岡県) 大洲城 (愛媛県) |
彦根城(国宝) | |
■所在地: 滋賀県彦根市 ■城郭の地形: JR彦根駅からすぐ、琵琶湖を背にした標高50mの小山の上にある平山城 ■天守の構造: 3層3階で、切妻破風、入母屋破風、唐破風を多様に配し豪華絢爛な美しさを誇る。3階は高欄のある望楼型天守で、高さは天守台を含めて21.5m ■天守の建造年: 1606年、最終の完成は大阪の陣のあと1622年と言われる。 ■主な築城主/城主: 徳川四天王のひとり井伊直政が石田三成の旧領佐和山に入り、子の直継が佐和山城に代わって彦根城を築城開始。代々彦根藩井伊家の居城です。 ■概要: 石田三成の領地であったところに大阪城を包囲する目的で造られた城で、実戦を想定した堅固な縄張り。西と北が琵琶湖に(昔は)接しており、至る所に防御の細工が見られて面白い。表門から登る道と、大手門から登る2つのルートがあり、どちらも急坂です。出口ルートになっている「黒門」の先には、のちに平和な時代になって大名庭園「玄宮園」(池泉回遊式庭園)や直弼が誕生した「槻御殿」のある楽々園などが造られました。 彦根城築城400年祭のイメージキャラクタ「ひこにゃん」が人気、 彦根城の詳細MAPは公式ホームページを参照ください。 |
弘前城 | |
「たか丸くん」
まだ訪問できていないため、写真はありません弘前市のマスコット「たか丸くん」とは宇和島城の 築城400年記念祭で逢いました |
■所在地: 青森県弘前市 ■城郭の地形: 高さ44.4mの山の上に本丸を置き、その外には二の丸、堀を配して三の丸を置いた梯郭式平山城です。二の丸、三の丸には櫓や追手門他が現存しています。 ■天守の構造: 3層3階の独立式層塔型と言われる天守で、高さは14.4m。築城当初は5層の天守でしたが、落雷で爆発消失し、櫓の再建と称して幕府の承認を得て現在の西南の隅櫓の位置に天守が再建されました。そのため別名・御三階櫓と呼ばれていました。現在は石垣の工事のため場所を移動しています。工事の終了は2025年以降になりそうです。 ■天守の建造年: 1611年に5層の天守で築城されましたが消失、1810年に現在の天守が再建されました。 ■主な築城主/城主: 関ケ原のあとに弘前藩ができ、2代目の津軽信枚が築城、9代・津軽寧親が現天守を再建。 ■概要: 天守下の石垣がふくらみ、崩落の危険がでたため、天守を曳き屋工法で場所を移動させています。 |