能登半島大地震被災

 2024年1月1日の能登半島地震では、能登半島の先端を震源とする
マグニチュードM7.6の大地震が発生し、各地に大きな被害を出しま
した。輪島の西南の地域では最大約4mも隆起するという大きな地
殻変動が起きて、崖崩れによる道路の寸断、海底の隆起による漁港
の被災、津波や火災など多くの災害が半島全体に一度に発生しまし
た。被災された多くの方々、今だ電気水道が途絶え、避難生活を送
られている方々にはお見舞いを申し上げます。
 私が家族と車で能登半島を一周したのは2017年でした。その時に
訪れた能登の観光地はこの震災でどうなっただろうかと思い、ネッ
ト上の情報を探しました。現地へ行ってないので今の状況を写した
写真はありませんが、昔の写真を引っぱり出して当時を思い出しな
がらまとめました。
 金沢方面から能登輪島や能登空港へは大動脈ののと里山海道が走
っていますが、この道路が178箇所も被災して寸断され、仮復旧して
も北行きの一方通行で災害復旧にあたっていました。7月になってよ
うやく一部を除いて対面通行が可能になったばかりです。私たちは
千里浜を過ぎて西海岸沿いの国道249号線へ回りましたが、この道路
も輪島の西部から珠洲へかけて半島の海岸線を走る主要道路ですが、
海岸の崖崩れなどで道路が崩落しあちこちで寸断されて集落が孤立
するなど大きな被害が発生しています。一時は仮復旧でほとんどの
道路が通じていると聞いたのですが、再び9月の集中豪雨で道路が寸
断されたようです。それでも観光客が各地を訪れるようになるのは
まだまだ先の話です。




能登半島地震の概要
 令和6年能登半島地震についての評価は、政府の地震調査研究本部が「令和6年能登半島地震について」として報告されています。また、地震被災による被害状況や復旧作業の報告は国土交通省のサイトや石川県サイトでは「令和6年(2024年)能登半島地震 被害状況の写真」などの報告がされています。
 
  能登の奥地と石川方面を結ぶ基幹道路が「のと里山海道」です 地盤が大きくダメージを受けた地震だったことが判ります 海岸線を周回する国道248号線も大きな被害を受けました 先回の私たちのドライブ旅行のコースです

能登半島南部
 能登半島の南部の七尾市、和倉温泉のあたりでも地震や津波の被害があり、13000戸が被災したという。地盤の隆起、沈下、液状化や津波などいろんな災害が重なって大きな被害が出ています。
  海岸の砂浜を走る千里浜は地震の被害は無かったようです  定点カメラの様子では、千里浜は地震でひどく揺れています  のと里山海道は178箇所も被災したが、仮修復で災害復旧の動脈として活躍しました  能登金剛・巌門は大きな地殻変動があった輪島西部よりは南へ離れています
岩場は地震でも崩れることは無かったが、遊歩道が破損 遊覧船は港に停船していたものが陸に打ち上げられて2隻が破損 遊覧船の発着場付近の岩場は写真で見るかぎり変わっていません 七尾方面から能登島へ渡る「能登島大橋」も橋脚が破損したが通行は可能 一時は能登島が孤立状態になって大騒ぎになりました

 
     
能登島と対岸の中島を結ぶ「中能登農道橋」は現在も通行できません        

北西部海岸沿い
 輪島市は広いです。その西部から東部の日本海に面する海岸沿いは能登半島地震では大きな地殻変動をうけてしまった。それにより海岸線などでは海に接する崖崩れでそこを走る道路がいたる所で寸断されてしまった。海も海底が隆起して、港の機能が果たせなくなった漁港も多い。
 輪島の町では地震後に起きた火災により、観光客を集めた有名な朝市の通りや周辺が消失してしまった。消火作業の水が得られなかったという。ネットでは被災状況を知れる様々な写真が報じられましたが、ここでは可能な範囲でのみ引用させて頂きました
主に輪島市内の地域で海岸に面した地域は大きな被害が出ました 上大沢、大沢など西保地区は1月の地震で道路崩落で集落が孤立しました。その後9月の大雨で再び道路が被災して修復の目途立たず。11月時点でも電気水道が止まり、村民は他へ集団避難したまま 文化的景観に指定され、保存活動が行われてきた「間垣の里」も今は人が住めない状態が続く 地震による間垣の被害は無かったとの記事がありました
   輪島市街

市中の火災が大きく報道されました。海底隆起のため、輪島港が被害を受けるなど、人口の多い所だけに被害も大きいです

  朝市が開かれていた通りの周辺が火災で消失 朝市通り テントを張って売り子をしていたおばさん達は復興を目指して頑張っています 重蔵神社の産屋。男神と女神が結ばれて御子が生まれた産屋は2015年に復元されたものだが
輪島塗会館は火災に遭わなかった 輪島の袖ヶ浜はきれいな砂浜の海水浴場だったが海底が隆起 袖ヶ浜の前の旅館・八汐は建物が半壊で営業できない状態 航空写真で袖ヶ浜の海岸の隆起の姿が見えます キリコ会館の建物は無事
 輪島の中心より北東の地区



展示されていた約30基のうち2/3が転倒破損 今は展示のみとなった大キリコも被災、キリコ会館は当分閉館です 屋外の広場では御陣乗太鼓の公演がありましたが・・・ 保存会のメンバーによる約1時間ほどの公演は素晴らしい熱演でした  
棚田は地震で亀裂が入ってしまった。それでも2024年は1/10位の田で稲を育て9月に稲刈ができた 9月後半の大雨で地滑りが発生し、再び大きく棚田が破損してしまいました 平家の末裔で、土地の有力者であった時国家の住宅で、近世の木造民家として重要文化財指定です   茅葺の大屋根が地震で耐えきれず、1階がペシャンコにつぶしてしまった
曽々木海岸へ

この辺りは海沿いの道路には山が迫っており、斜面の崩落で道路や家屋が埋まる被害が出た。さらに9月の豪雨でさらに崖の崩落が進み道路や家屋の被害が増幅した

武家の御殿建築のような豪華な様式の部屋が並んでいました 大納言格式の最上格の客間。折り上げ格天井など貴重な遺産でした   「窓岩」 岩板に空いた穴から沈む夕日が見える景勝スポット 地震で岩が崩れ、窓岩が無くなりました
「奥能登塩田村」は昔ながらの揚げ浜式の塩造りを公開している所ですが、1月の地震で海底が隆起し海が50mも遠くなってしまった。それでも4月には塩造りを再開した。
 所が、9月の豪雨で道路の反対側の斜面が崩れ、塩田が泥に埋まってしまい復旧の目途が立たなくなってしまった
   
「垂水の滝」 滝もトンネルも無事でしたが、前後の道路は通行止め        

東海岸 珠洲、能登町
 能登半島の先端の珠洲市は震源に近くて揺れの被害が大きく、津波の被害が発生しています。更に9月の豪雨では珠洲で48時間で394mmという雨で浸水、土砂流入などの被害で住民は2重被災に見舞われた。
  珠洲市




北部が珠洲市、南寄りが能登町になります   能登半島の北端の岬が禄剛崎で通称のろし灯台があります 岬の高台の上に禄剛崎灯台があります 地震で灯台のフレネルレンズ(フランス製)が割れてしまった
灯台の崖の下は千畳敷になっていましたが、大分隆起したのでは 珠洲市の中心の飯田町にある市役所の屋上のカメラが地震の発生をライブで見せてくれました 能登の夏はいたる所で夏祭りがあり、キリコや火祭りで賑わう土地です 飯田町では燈籠山というキリコやねぶたのような山車が祭りの目玉です。このわくわく広場の周辺も被災 見附島は別名が軍艦島。地震で島の半分が崩落して、軍艦の姿では無くなりました
  能登町

   九十九湾です


  富山湾に面して深い入り江で波静かな九十九湾があります リアス式海岸で深い入江の奥にあるのが「百楽荘」です 1月の地震で起きた津波は入江にも被害を出しています 海面に張り出したデッキは津波で破壊されたが、高台の本館は無事
無力、無念!
 
能登町姫地区の夏祭りで担がれる袖キリコ 採石場のあとで、潮が引くと広い岩場が現れる場所 地殻変動の影響を受けたかどうか判明しません    

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ビユァーのHELP


のと里山海道

 金沢と能登を結ぶ全長90Kmの有料道路だったものが平成25年に無料化され、輪島のすぐ南まで伸びている走りやすい道路です。南半分は海に近く砂浜や海を見ながら走ることができます。

千里浜なぎさドライブウェイ

 千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイは、車で砂浜を走れる日本でここだけのドライブウェイ(全長約8km)です。砂が細かく、海水で硬く締まっているので観光バスでも走れるほどです。

能登金剛・巌門

 能登金剛とは、羽咋の海岸線一帯を指し、日本海の荒波に浸食されて造られた奇岩や断崖が続く海岸で、その景色が朝鮮半島の金剛海岸に匹敵するとして“能登金剛”と呼ばれるようになった。
 能登金剛を代表する「巌門」は、海に突き出た岩盤に日本海の荒波が浸食して明けた洞門で、その横には大きな洞窟もあります。遊覧船では海側から眺めることができます。

能登島大橋

 かつて能登島には橋がなく、能登半島本土側へはフェリーで行き来していた。昭和57年(1982)に和倉温泉と島を結ぶ能登島大橋(全長1,050m)が開通すると、のとじま水族館や石川県能登島ガラス美術館が次々に建設され、島の観光地化が進む。平成10年(1998)に無料化。

能登島ガラス美術館

 平成3年にガラス芸術の情報発信基地を目指し開館、海を見下ろす高台に、宇宙基地のような姿で建っています。道路を挟んで道の駅・のとじま」があります。

ツインブリッジのと

 中能登農道橋(なかのとのうどうきょう)は、石川県七尾市の中島地区と能登島地区を 結ぶ斜張橋。愛称はツインブリッジのと。 1999年(平成11年)3月27日に開通

間垣の里

 奥能登各地に点在しているもので、輪島市では西保地区などで間垣が伝承されている。間垣とは、高さ約 3~5mの苦竹や真竹を割ったものを隙間なく組んだた垣根のことで、冬の日本海からの冷たい潮風を避け、夏の強い日差しを避ける奥能登の自然の中で暮らす人の知恵です。大沢漁港はNHKテレビの朝ドラ「まれ」では津村家が移住した漁村「外浦村(そとらむら)」として撮影されました。浜に立つ櫓は「まれ」が上に登って入り江を眺めていたところで今も残されています。

輪島の朝市

 輪島朝市は通称『朝市通り』と呼ばれている約360mの商店街で毎朝行われていて、今では200以上の露店が立ち並び、たくさんのお客さんが訪れています。朝市の歴史は古く、平安時代から行われていたという文献があります。

重蔵神社・産屋

 新しい朝市のパワースポットです。重蔵神社は輪島大祭が行われる輪島の大きい神社のひとつ。お祭りの夜に男神様と女神様が結ばれて、この産屋で新しい御子神様が産まれると伝わっています。この場所は重蔵神社大祭で町内を練った神輿(神様)を一晩、安置する御仮屋(仮宮)のあった場所で、2015年に新しく産屋が建てられました。御柱に触って願い事をすると叶えられと云う

輪島塗会館

 輪島塗会館は、1階は各漆器店の商品が一堂に並んだショップ、2階は輪島塗の名品や歴史、製造工程や道具などを紹介する資料展示室となっています。

御陣乗太鼓

 御陣乗太鼓は、輪島市名舟町に伝わる郷土芸能です。1577(天正5)年、上杉謙信の軍勢が七尾城を攻略し、奥能登へ攻め込んだ時に、鬼や亡霊の面に海藻の髪を振り乱しながら太鼓を打ち鳴らす奇襲を仕掛け、上杉軍を追い払ったとされています。この戦勝は舳倉島の奥津姫神の御神威によるものとし、毎年奥津姫神社の大祭(名舟大祭・7月31日夜から8月1日)に仮面を被り、太鼓を打ち鳴らしながら、神輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなっています。

輪島キリコ会館

 キリコ(切籠)」とは、切子灯籠(きりことうろう)の略称で、能登の各地で行われる夏の祭りで神輿の足元を照らす御神燈として担ぎ出され、大きいものでは重さ2t、高さが10数mにもなります。キリコ会館では実際に使われているキリコや昔の大型のキリコなど30基の展示や、神事の紹介をしております
 

白米(しろよね)千枚田

 海沿いを走る国道249号線沿いにある棚田です。日本海に面して、小さな田が重なり海岸まで続く絶景は、世界農業遺産「能登の里山里海」の代表的な棚田として、年々注目を浴びています。

時国家(上時国家)

 能登に流された平時忠(清盛の義弟)を先祖とする
天領大庄屋を務めた家系で、現存する近世木造民家では最大級のものです。建物の内部は、大納言格式の「縁金折上格天井(ふちきんおりあげごうてんじょう)」の御前の間、襖に連なる平家定紋「丸に揚羽蝶(まるにあげはちょう)」などが見どころです。鎌倉様式庭園も国指定名勝です。
分家の下時国家は300mほど離れたところにあり、こちらは木造平屋建て、間口十三間、奥行き八間、総面積一〇八坪の茅葺入母屋造りの能登の代表的な民家です。下時国家は農業の他、製塩業や廻船業などにも家業を広めた豪農豪商でした。
 いずれも国指定の重要文化財ですが個人で維持管理するのには限界があり、両家とも公開を取りやめました。

曽々木海岸

 輪島市街地から北東に17km、珠洲市との境近くにある垂水の滝から町野川の河口までの2kmの海岸線を指します。海と岩が織りなす自然美と豪快な断崖風景で知られ、国の名勝および天然記念物に指定されています。曽々木海岸のシンボルともいえるのが窓岩です。 また、厳冬期には、ふんわりとした白い綿状の「波の花」が海面を覆います。

狼煙灯台

 禄剛崎(ろっこうさき)は海岸段丘の岬で能登半島の最先端です。岬自然歩道が通り、先端には「日本の灯台50選」にも選ばれた白亜の「禄剛埼灯台」が立っています。晴れた日には、遠く立山連峰や佐渡島を望むことができます。また、ここは海から昇る朝日と海に沈む夕日が同じ場所で見られることで有名です。そして崖下は千畳敷と呼ばれる岩場で、無数の細かい溝が平行に走り、自然が作り出した洗濯板のように見えます。

燈籠山祭り

 燈籠山祭りは能登半島最先端の珠洲市飯田町に鎮座する春日神社の祭礼で、毎年7月20日・21日に行われる山車(やま)祭りです。「燈籠山(とろやま)」といわれる巨大な山車(やま)は2年に1度制作される高さ約16メートル・重さ約5トンを誇るものです。

九十九湾(つくもわん)

 リアス式海岸で、多数の入り江が入り組んでいるところから九十九湾の名が付いた。入江の一番奥には旅館「百楽荘」があるが、津波で大きく被害を受けた。
 湾の入り口にある小木漁港は日本三大イカ釣り漁港の一つですが、地震と津波で漁船の多くが被災し、廃業の危機にあっている
 

能登町千畳敷

 水深1m程度の岩場が広がり、引き潮では海面から顔を出す。その昔、石材用の石を切り出していたあとで、千畳敷ポケットパークから風景が一望できます