四国周遊その1(鳴門-香川)
 四国にはこれまで何度か車で家族や仲間とであちこち行ってきたが、
写真がバラバラで纏まっていなかった。 そこで、四国を4つに分けて、
今までの写真を整理してみました。まず最初は四国への入口である
鳴門海峡と瀬戸大橋を結ぶ香川県をメインにした観光地を巡る記念の
写真を揃えました。

鳴門海峡の大鳴門橋とうず潮
 阪神間から淡路島へ渡り、そのまま高速で島内を走り抜けると四国との間にある鳴門海峡に架かる大鳴門橋に出ます。下は鳴門のうず潮です。
 四国側の橋の袂からは橋の車道の下に設けられた遊歩道を歩いて海面上45mからうず潮を見ることができる「大鳴門橋遊歩道・渦の道」があります。しかし観潮船に乗って間近にうず潮のすさまじさを見るのが一番です。観潮船は淡路島側から出るのが2つ、鳴門市側から出るのが2つあります。
 
鳴門の渦潮を体験するには船に乗って近くで見ることです。観潮船は4箇所から出ていますが、小型船の方が渦の中まで入れるので迫力があります。潮見表を参考にしてうず潮の大きい時を狙って行きましょう
  大鳴門橋 自動車専用道路です   淡路島側と四国側の4つの港から観潮船は出ています
淡路島の福良港から出ている帆船型の大型船です 鳴門市側の鳴門観光汽船です。わんだーなると丸と小型のアクアエディ―丸の2隻があります わんだーなると丸は定員が約400名の大型ですが海面が近いので迫力はあります 淡路島側の伊毘漁港から出ているクルージング船「ヘリオス」です。 大体大鳴門橋の下付近に渦がでるので、観潮船が集まります
渦は水平だけでなく、上下にも渦が巻きます(わんだーなるとから) ヘリオスから見る日本丸     向こうの船はうずしお汽船のうずしお丸
     
海面の高低差による潮の流れが激しい所 1日4回海面の高低差が発生するのでうず潮が発生します

大塚国際美術館
 世界中の名画の実物大実物そっくりの複製陶板絵画を一堂に見ることができ、触ったり写真に撮ったりできる極めて貴重な体験ができる美術館です。地上2階地下3階で延べ床面積が30000㎡、通路の長さ4Kmという大きさで、訪れた日は3時間かけましたが駆け足でも全部は回り切れませんでした。
大鳴門橋の袂の鳴門公園にあります 展示は地上2階地下3階あります。中にはレストランやカフェがあるので休憩しながら回りましょう。 マケドニアのペラ遺跡から出たモザイク画の複製 各絵画には詳しい説明パネルがついています 床にもギリシャ時代にあったようなモザイク画があって、一瞬踏んではいけないかと錯覚
バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の実物大複製の部屋(ミケランジェロの天井画など) イタリア・スクロヴェーニ礼拝堂の内部の複製 エル・グレコの大祭壇の衝立画を復元したもの レオナルド・ダヴィンチの受胎告知 眠れるヴィーナス(ジョルジョーネとティツィアーノ)
最後の晩餐(レオナルド・ダヴィンチ)1999年原版の修復後の複製 最後の晩餐(レオナルド・ダヴィンチ)原版の修復前の複製 原画はサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院にあります モナリザ(レオナルド・ダ・ヴィンチ) 落穂拾い(ミレー)
晩鐘(ミレー) 大睡蓮(モネ) 大睡蓮の周りの睡蓮の池 民衆を導く自由の女神(ドラクロワ) カード遊びをする二人の男たち(セザンヌ)
自画像(ゴッホ) ヒマワリ(ゴッホ) 真珠の耳飾りの少女(フェルメール)17世紀の作品です 「ゆでたインゲン豆のある柔らかい構造:内戦の予感」(サルバドール・ダリ) ゲルニカ(ピカソ) 1937年にスペインのゲルニカがドイツの空襲に遭って壊滅したことに憤って製作、パリ万博に展示された

栗林公園
 特別名勝に指定された庭園の中で一番広い庭園です。名前の栗とは全く関係なく、
千本の松がよく手入れされた緑がきれいな、江戸時代初期の回遊式大名庭園です。
    高松駅に通じる国道に面して入口があって交通の便は最高 国道に面した駐車場から塀に沿って歩くと通用門に着きます 湧水を利用した豊かな池に浮かぶ裸?の島に松が映える
東門を入ってすぐ左へ進み、南側の芙蓉峰(展望台)へ登る 芙蓉峰から北湖を見る 梅林橋 夫婦松。 赤松の幹の下から黒松の枝が出ているので夫婦松 和船も似合いますね
到着したのが午後の2時半をまわっていたのでやや陽が陰り、写真の色が冴えないのが残念です  
飛来峰からの南湖の景色は定番 掬月亭と根上がり五葉松      

高松城跡(玉藻公園)
 日本三大水城(愛媛の今治城、大分の中津城と)の一つで、瀬戸内海の水を堀に引き込んで守りを固めた城です。 JRの高松駅の前で、高松港に面しています。高松藩・松平家の居城で瀬戸内に目をひからせていましたした。天守は老朽化で明治17年に解体されてありません。
  天守はなく、この隅櫓と月見櫓が残存 東門から入ります。お堀も石垣も結構残っていますね 海の水が入ったお堀には鯛にエサやりもあります(鯉ではありません) 東門を入り、桝形を抜けると桜の馬場です。隅にあるのはうしとら櫓
桜御門は桜の馬場と三の丸の間の門で平成6年㋃に復元されました 国宝指定の寸前に昭和20年の空襲で消失したもので、ようやく復元 「披雲閣」 旧松平家の高松別邸で、江戸時代には御殿のあった所 天守台。本丸と二の丸を繋ぐ右の橋を渡らなければ入れない 海側の石垣と武の櫓あと。水門もあります。この道路は昔は海です

讃岐うどん
 香川県はうどんの生産・消費ともに日本一。瀬戸大橋を渡って四国へ旅行したときに丸亀でたびたび名物のうどんを食べることがあった。しかしうどん屋の写真は少ないです。

 
香川にはいたる所にうどんの有名店があるようです 丸亀のうどんの有名店「中村うどん」です。2012年に昼の12時半に行ったが行列は無く入れた 2度目、2013年に行った時は、さすがに行列が出来ていた 特徴は細麵で、釜玉うどんがおすすめ。丸亀のお店のほとんどがセルフで、好きなトッピングを選べます  

丸亀城
 丸亀の街の真ん中に四面を大きな堀に囲まれて高い石垣の上に聳える丸亀城があります。石垣は4段の石組みで下から60m近くある日本一高い石垣で、お堀から高く上空に広がる石垣が見事で、その上に天守が聳えている日本一かっこいい石垣の城ではないでしょうか。
四国には昔の木造天守が残る城が4つもあるその内の一つです 水を湛えた内堀に四方を囲まれ、守りの堅い城です お堀の石垣の上に遥か高く本丸や三の丸の石垣が聳えます 日本一高い石垣です 下から見上げて美しい石垣で、何度もシャッターを切りました
北側のお堀を跨いで大手門二の門に入る 二の門は小さいですが、桝形の一の門は大きくて立派だ 大手門をしっかり守っています 大手門を入ると「見返り坂」を登って三の丸から二の丸、本丸へ向かう あまりに急な坂が真っすぐ続くので途中で振り返ることから「見返り坂」
上から見ても急な「見返り坂」 三の丸の石垣のきれいな勾配を「扇の勾配」と云われる 打ち込みハギで、高さが20mを越す石垣です 石垣が何段にも重ねられて、総高さが60mを越すのは他には無い 三の丸から二の丸へ登る入口
本丸に着きました 天守は3層3階で高さは約15mで残存天守では最も小さい 丸亀の街が城のすぐ下に近いです 城の西側の市資料館そばから見える丸亀城 こちらの南西部の石垣が大雨で大きく崩落し、大修理工事が始まってます

金刀比羅宮
 金毘羅さんで親しまれ、全国からお参りの人が集まります。表参道から本宮までは785段の石段を登ります。参道の石段の両側にお店が賑わい、ここで杖を借りることができます。以前は年寄りは名物の籠に乗って登ったのですが、今はもう籠はありません。
 785段の石段は足の悪い私にはきついので、500段目近くにある資生堂パーラー「カフェ&レストラン神椿」の駐車場まで車で行って駐車させてもらう(食事が必要ですが)ことにしました。(タクシーなら大門(350段付近)まで行ってくれるそうです)
琴平の付近にも讃岐うどんの店が覆いです 石段の始まる所から琴平駅の方を振り返っています。中野うどん学校が見えています 石段の両側にみやげ屋などが並び、参拝者に竹杖を貸し出しています   駐車スペースは10台くらいですが、そこまでの山道はかなり覚悟がいる狭い道です。
カフェと軽い食事が出来ます 神椿の裏手から入ります。建物は参道のかげに隠れています 参道の木馬舎の前に出てきます。残りの石段は1/3の285段です 祓戸社(罪けがれを祓い清める神様)の横のイチョウ?がきれい  石段が上り下りが分けられました
旭社(628段)の前は上り下りを分離するロープが張られた 旭社は下りで参拝するよう一方通行にされた。登りでは参拝できません ここからは登りと下りは石段が別れます 御前四段坂 最後の急坂で残り133段です 本宮の本殿に到着
平坦な讃岐平野にポッコリ讃岐富士(飯野山) 山のふもとの方で、参道から少し離れると「金丸座」があります 地方に残る数少ない歌舞伎芝居小屋の一つで、日本最古のものです 観客が小さい木戸をくぐって入ると札場で入場料を払う仕組み 回り舞台やセリがあり、地下の奈落にも入れます。天井の竹組も見所

瀬戸大橋
 岡山県倉敷市の鷲羽山と香川県坂出市を結ぶ本四連絡橋の一つです。
中ほどに与島のサービスエリアがあって島へ下りられます。

瀬戸大橋は上が有料自動車道路で、下が鉄道の2階建てです 坂出の常盤公園から見る瀬戸大橋。左からJR線が合流 鉄塔の上に登るツアーもあります ルートの真ん中辺にある与島のサービスエリアです 右が四国の方向
   
吊り橋を支える巨大なアンカレイジ 丁度、JR線の電車が走ってきました 夕陽をあびる瀬戸大橋(四国方向)    

小豆島
 小豆島は瀬戸内海に浮かぶ2番目に大きい島で香川県に属します。各港と結ぶフェリー航路があるので、車で訪れることができ、夫々の名所を巡るのに便利です。
小豆島には3回訪れましたが写真があるのは2008年の回のみ 2008年には岡山日生港からフェリーで小豆島の大部港へ渡りました 大部港、福田港、坂手港、池田港、土庄港からフェリーが出ています 徳川時代に大阪城の石垣に使う石を小豆島から切り出していました 東海岸を車で走っていると道路脇に石碑があります
車を停めて遊歩道を歩くと、切り出して捨てられた石がゴロゴロ 大きな岩がゴロゴロ。山から運ばれた石をここで成形切出して船に 切りだし中に割れた失敗石か。矢穴を一列に穿ち、楔で割る お城に運ばれなかった石は「残念石」と呼ばれる 八人石丁場 巨石の切り出しで8人の石工が下敷きになったという
坂手港の近くの岬に壷井栄の小説の舞台、「岬の分教場」や「二十四の瞳映画村」があります 二十四の瞳第1作(監督・木下恵介、主演・高峰秀子)が撮影された岬の分教場の木造校舎 3つの教室がありました。昭和46年まで実際の学校として利用されていました 教室の中も昔あったままの姿で保存されています 「岬の分教場」から少し離れたところに第2作(田中裕子主演)の映画ロケセットが造られました
分教場の校舎とそっくりのロケセット 「せんせあそぼ」の像 映画のロケセットです ロケセットを利用してみやげ物を売っています ロケで使われたボンネットバス?
こちらは分教場と映画村をシャトルしている観光客向けのバス(現在は運行していません) 日本の三大渓谷美のひとつといわれ、小豆島一番の名勝です 麓の紅雲亭駅からロープウェイで山上へ登るか、車でも山上まで行けます。山上には特に何もないです 下から歩いて登るのもよいです 約1300万年前の火山活動により堆積した火山角礫岩などが、風雨による侵食により、断崖や奇岩群を形成
海底の隆起による地層かと思えば、瀬戸内海を形成した古代の火山の堆積物だそうです 噴火の石(礫)と火山灰が固まった地層がはっきり見える 小豆島は日本で始めてオリーブの栽培に成功した地です 小豆島オリーブ園やその周辺はオリーブの栽培が盛んです オリーブ園には栽培を始めた時の原木が残っています
小豆島出身の作家壺井栄の不朽の名作である「二十四の瞳」のブロンズ像は島に到着した人々を迎えます。このブロンズ像には平和と幸せを求める永遠の願いが込められています    
土庄港の緑地公園にある「二十四の瞳」像   土庄港から岡山へ向けてフェリーが出発する頃にはすっかり暗くなっていました    

そのほか
 他に残したい写真を追加します
     
  播磨灘の夕焼け(6月)      


写真をクリックすると
  ビュアーで拡大表示
  されます


 (最初から)


ビユァーのHELP


鳴門海峡
 四国と淡路島に挟まれる鳴門海峡は瀬戸内海と紀伊水道という2つの海域の間にあって、幅約1.3kmの海峡です。2つの海域は潮の干満のタイミングが異なり、1日4回、約1~1.5mの海面の水位差が生まれることから、激しい潮流が起き、渦潮が発生します。春と秋の満月や新月の大潮時には最大のうず潮が現れます。
 鳴門海峡を跨いで走る大鳴門橋は全長1629m、橋の上部は自動車専用道路ですが、鳴門がわの450mはその下に遊歩道が設けられています。足の下45mに海面があり、うず潮を真上から見ることができます。

鳴門うずしお観潮船
 鳴門の観潮船は淡路島側の2つの港、四国の鳴門市側の2つの港から観潮船が出ています。
<淡路島側>
・福良港:帆船風の定員700名の大型船「日本丸」で、ゆったり観潮できます。(約60分)
・福良港から7Kmほど西の伊毘比漁港(マリノポート伊毘漁港)からヘリオスという高速クルーザー船(定員24名)に乗るサービスがあります。
<鳴門市側>
・大塚美術館の崖下の亀浦漁港・うずしお汽船のうずしお丸(定員88名)はおすすめ。
・上記より少し西の亀浦観光港の鳴門観光汽船:わんだーなると丸(定員395名)とアクアエディ丸(定員46名)があります。(後者は要予約)
いずれも所要30分程度です。
大塚国際美術館
 大鳴門橋の四国側の橋の袂の鳴門公園に延床面積29412m2、地下3階地上2階の広大な美術館。古代から現代までの世界中の有名な名画を陶板に複製したもので、本物そっくりの名画が間近に見ることができます。大塚グループの大塚オーミ陶業社が自社の技術を結集して大塚グループ75周年記念事業として完成させたもの。
レオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」やゴッホの「ひまわり」、なかでもローマ・バチカン宮殿にある「システィーナ礼拝堂」
(ミケランジェロなどの壁画天井画で有名)の3階建て相当の礼拝堂内部の実物大の復元展示などがあり、写真撮影も許されており、手で触れることも可能という、絵の具のタッチまで確認することができます。観賞には3時間あっても全部を回りきれないといわれます。
栗林公園
 16世紀後半の讃岐の国領主・生駒隆俊がここに築庭を始め、それが江戸時代初代高松藩主・松平頼重に引き継がれ、1745年5代目藩主の時代にようやく完成したという。明治になって大名の手を離れ、県立公園として公開された。
 かつてはここに治水のために川を無くした土地で、豊富な伏流水を利用した庭園になりました。緑深い柴雲山を背景に文化財庭園では最大の広さを持ちます。1千本の手入れされた松(栗ではありません)がきれいな庭園です。
高松城跡
 JR高松駅や高松港の前で、堀に海の水を引き込んだ、日本三大水城(愛媛の今治城、大分の中津城と)の一つです。
 讃岐国領主・生駒家、其の後高松藩主・松平家の居城になり、西国大名や瀬戸内に睨みを効かせていた城です。明治以降は外堀は埋め立てられ、市街化が進み、城郭も西側(琴電の駅)、海側、東側(公共施設)などで大きく破壊されてしまいました。今は玉藻公園として整備されています。
 天守は消失しており、艮(うしとら)櫓、月見櫓、水手門が現存のところに、三の丸に「桜御門」が平成6年4月に復元されました

丸亀城
 標高66mの亀山の上に築かれた、現存木造天守12城の一つで、日本一小さい天守の城です。高く聳える石垣が美しく様々な石積の技術が見られる石垣の名城です。讃岐国領主・生駒家によって築城され、其の後一時廃城になっています。後に丸亀藩ができ、京極家の居城となり、明治を迎えます。天守と大手門以外のほとんどの建物は取り壊されました。しかし四方に石垣や内堀が残る美しい城です。

金刀比羅宮
 讃岐の「こんぴらさん」で有名な金刀比羅宮は象頭山の中腹に鎮座し、古来より海の神様、五穀豊穰・大漁祈願・商売繁盛など広範な神様として、全国からこんぴら詣でとして善男善女がお参りしてきました。参道口から御本宮までは785段、奥社までは1,368段の石段があり、参道の両脇には土産物やうどんの店などが並びます。

金丸座(金毘羅大芝居)
 天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋です。昭和45年に国の重要文化財として指定され、この時、名称が旧金毘羅大芝居となりました。昭和51年に現在の愛宕山の麓に移築復元され、昭和60年からは毎年「こんぴら歌舞伎大芝居」が開催されてきました。本格的に花道や回り舞台やセリがあり、地下の奈落も入って見学することができます。

瀬戸大橋
 瀬戸内海をまたぎ、岡山県倉敷市と香川県坂出市を結ぶ本四連絡橋の一つです。全長37.3Km、橋梁部9.4Kmで、道路と鉄道を渡す上下2層の橋梁で、1988年に開通しました。

小豆島
 瀬戸内海で淡路島に次いで2番目に大きい島です。江戸時代は製塩で栄え、其の後醤油の産地に変わった。島の東海岸は石切り場が多く、その昔は大阪城の普請に石が切り出された跡があります。名産品は醤油、石材のほか、佃煮、手延べソーメン、オリーブがあります。日本のオリーブの栽培はここ小豆島で初めて栽培に成功したのが始まりで、今でもその時のオリーブの原木が残っておりたくさんの実をつけています。

寒霞渓
 小豆島の地層の基盤はマグマが固まった花崗岩で、その上に安山岩や火山角礫岩の層が重なったものですが、それが長日本で年の風化や浸食で多種多様な奇岩と崖地が絶景を造ったのが寒霞渓です。

二十四の瞳映画村
 壺井栄の小説「二十四の瞳」の舞台となり、1954年に映画化された第1作は 木下恵介監督、主演・高峰秀子で大ヒットしました。これのロケ地が苗羽小学校田浦分校でした。木造平屋建校舎で3教室を使用していましたが、多くの人が全国より訪れるようになり、「教育の聖地」と云われるようになりました。昭和46年(1971)3月廃校になりましたが、教室には当時のままの机やオルガン、子どもたちの作品などが残っております。
 映画化の第2作は1987年に田中裕子主演で再映画化されましたが、その時のロケのセットはを1作目の岬の分教場からさらに岬の先の方に造られました。これを活用してテーマパークとして残したのが「二十四の瞳映画村」です。坂手港からは車で13分ほどです。