鳴門海峡
四国と淡路島に挟まれる鳴門海峡は瀬戸内海と紀伊水道という2つの海域の間にあって、幅約1.3kmの海峡です。2つの海域は潮の干満のタイミングが異なり、1日4回、約1~1.5mの海面の水位差が生まれることから、激しい潮流が起き、渦潮が発生します。春と秋の満月や新月の大潮時には最大のうず潮が現れます。
鳴門海峡を跨いで走る大鳴門橋は全長1629m、橋の上部は自動車専用道路ですが、鳴門がわの450mはその下に遊歩道が設けられています。足の下45mに海面があり、うず潮を真上から見ることができます。
|
鳴門うずしお観潮船
鳴門の観潮船は淡路島側の2つの港、四国の鳴門市側の2つの港から観潮船が出ています。
<淡路島側> ・福良港:帆船風の定員700名の大型船「日本丸」で、ゆったり観潮できます。(約60分)
・福良港から7Kmほど西の伊毘比漁港(マリノポート伊毘漁港)からヘリオスという高速クルーザー船(定員24名)に乗るサービスがあります。
<鳴門市側> ・大塚美術館の崖下の亀浦漁港・うずしお汽船のうずしお丸(定員88名)はおすすめ。
・上記より少し西の亀浦観光港の鳴門観光汽船:わんだーなると丸(定員395名)とアクアエディ丸(定員46名)があります。(後者は要予約)
いずれも所要30分程度です。
|
大塚国際美術館
大鳴門橋の四国側の橋の袂の鳴門公園に延床面積29412m2、地下3階地上2階の広大な美術館。古代から現代までの世界中の有名な名画を陶板に複製したもので、本物そっくりの名画が間近に見ることができます。大塚グループの大塚オーミ陶業社が自社の技術を結集して大塚グループ75周年記念事業として完成させたもの。
レオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」やゴッホの「ひまわり」、なかでもローマ・バチカン宮殿にある「システィーナ礼拝堂」
(ミケランジェロなどの壁画天井画で有名)の3階建て相当の礼拝堂内部の実物大の復元展示などがあり、写真撮影も許されており、手で触れることも可能という、絵の具のタッチまで確認することができます。観賞には3時間あっても全部を回りきれないといわれます。
|
栗林公園
16世紀後半の讃岐の国領主・生駒隆俊がここに築庭を始め、それが江戸時代初代高松藩主・松平頼重に引き継がれ、1745年5代目藩主の時代にようやく完成したという。明治になって大名の手を離れ、県立公園として公開された。
かつてはここに治水のために川を無くした土地で、豊富な伏流水を利用した庭園になりました。緑深い柴雲山を背景に文化財庭園では最大の広さを持ちます。1千本の手入れされた松(栗ではありません)がきれいな庭園です。
|
高松城跡
JR高松駅や高松港の前で、堀に海の水を引き込んだ、日本三大水城(愛媛の今治城、大分の中津城と)の一つです。
讃岐国領主・生駒家、其の後高松藩主・松平家の居城になり、西国大名や瀬戸内に睨みを効かせていた城です。明治以降は外堀は埋め立てられ、市街化が進み、城郭も西側(琴電の駅)、海側、東側(公共施設)などで大きく破壊されてしまいました。今は玉藻公園として整備されています。
天守は消失しており、艮(うしとら)櫓、月見櫓、水手門が現存のところに、三の丸に「桜御門」が平成6年4月に復元されました
|
丸亀城
標高66mの亀山の上に築かれた、現存木造天守12城の一つで、日本一小さい天守の城です。高く聳える石垣が美しく様々な石積の技術が見られる石垣の名城です。讃岐国領主・生駒家によって築城され、其の後一時廃城になっています。後に丸亀藩ができ、京極家の居城となり、明治を迎えます。天守と大手門以外のほとんどの建物は取り壊されました。しかし四方に石垣や内堀が残る美しい城です。
|
金刀比羅宮
讃岐の「こんぴらさん」で有名な金刀比羅宮は象頭山の中腹に鎮座し、古来より海の神様、五穀豊穰・大漁祈願・商売繁盛など広範な神様として、全国からこんぴら詣でとして善男善女がお参りしてきました。参道口から御本宮までは785段、奥社までは1,368段の石段があり、参道の両脇には土産物やうどんの店などが並びます。
|
金丸座(金毘羅大芝居)
天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋です。昭和45年に国の重要文化財として指定され、この時、名称が旧金毘羅大芝居となりました。昭和51年に現在の愛宕山の麓に移築復元され、昭和60年からは毎年「こんぴら歌舞伎大芝居」が開催されてきました。本格的に花道や回り舞台やセリがあり、地下の奈落も入って見学することができます。
|
瀬戸大橋
瀬戸内海をまたぎ、岡山県倉敷市と香川県坂出市を結ぶ本四連絡橋の一つです。全長37.3Km、橋梁部9.4Kmで、道路と鉄道を渡す上下2層の橋梁で、1988年に開通しました。
|
小豆島
瀬戸内海で淡路島に次いで2番目に大きい島です。江戸時代は製塩で栄え、其の後醤油の産地に変わった。島の東海岸は石切り場が多く、その昔は大阪城の普請に石が切り出された跡があります。名産品は醤油、石材のほか、佃煮、手延べソーメン、オリーブがあります。日本のオリーブの栽培はここ小豆島で初めて栽培に成功したのが始まりで、今でもその時のオリーブの原木が残っておりたくさんの実をつけています。
|
寒霞渓
小豆島の地層の基盤はマグマが固まった花崗岩で、その上に安山岩や火山角礫岩の層が重なったものですが、それが長日本で年の風化や浸食で多種多様な奇岩と崖地が絶景を造ったのが寒霞渓です。
|
二十四の瞳映画村
壺井栄の小説「二十四の瞳」の舞台となり、1954年に映画化された第1作は
木下恵介監督、主演・高峰秀子で大ヒットしました。これのロケ地が苗羽小学校田浦分校でした。木造平屋建校舎で3教室を使用していましたが、多くの人が全国より訪れるようになり、「教育の聖地」と云われるようになりました。昭和46年(1971)3月廃校になりましたが、教室には当時のままの机やオルガン、子どもたちの作品などが残っております。
映画化の第2作は1987年に田中裕子主演で再映画化されましたが、その時のロケのセットはを1作目の岬の分教場からさらに岬の先の方に造られました。これを活用してテーマパークとして残したのが「二十四の瞳映画村」です。坂手港からは車で13分ほどです。
|
四国側の橋の袂からは橋の車道の下に設けられた遊歩道を歩いて海面上45mからうず潮を見ることができる「大鳴門橋遊歩道・渦の道」があります。しかし観潮船に乗って間近にうず潮のすさまじさを見るのが一番です。観潮船は淡路島側から出るのが2つ、鳴門市側から出るのが2つあります。