四国周遊その2(徳島-高知)
 四国を4つに分けて過去の写真を整理する第2弾です。四国南東部
徳島から高知にかけて訪れた下記の観光地の写真です。
 
徳島県 徳島市内、吉野川下流域:
  徳島市街(阿波踊り会館)
藍住
阿波の土柱
脇町(うだつの町並み)
徳島県 吉野川上流域:
  大歩危
祖谷かずら橋
祖谷渓(小便小僧)
高知県東部:  
  室戸岬、室戸岬灯台
岩崎弥太郎生家

 
     
         
徳島市街
 徳島といえば阿波踊りと、吉野川、食べ物では徳島ラーメンが思い浮かぶ。
徳島の市街地のJR徳島駅に近いところにある「阿波踊り会館」では、1年中
いつでも阿波踊りが見物できます。
阿波踊り会館 阿波踊りは8月ですが、観光客向けに毎日公演あり 夜は阿波踊りの連が日替わりで出演しています 昼は会館専属の連が公演 時代による踊りの移り変わりも紹介がありました 昭和の始めは盆踊り並みだった
1970年の大阪万博で太陽の広場での踊りから華やかな振付になった   最近はさらにテンポが早くなって激しい踊りになっているような 観客に踊りの指導 最後は一緒に踊りましょう

吉野川下流域
 徳島県の東部?、吉野川流域の下流域についてまとめます。徳島は藍の産地で、吉野川を利用して藍を出荷する藍商人で繁盛した町がいくつもあります。吉野川に沿って走る徳島自動車道の藍住ICの近くにある「藍住町歴史館・藍の館」(藍商人の屋敷)や脇町ICの近くの「うだつの町並み」は藍の豪商が活動した歴史を見ることができます。
藍住町
藍住町歴史館・藍の館

 
 
 
  藍住IC近くの藍住町歴史館・藍の館 昔の藍商人の屋敷 藍を扱った豪商の大きな屋敷 藍を発酵させているかめ 藍染の体験をさせてもらえます
阿波市脇町
うだつの町並み

 
 
 
 
絞りでいろんな模様ができます   吉野川を背にした脇町の通りです。うだつの町並みと呼ばれる商人町 「うだつ」とは隣の家と隔てるひさし屋根の上に建てる防火壁のこと  
脇町ICの近くは珍しい観光の穴場があります
柱状節理という石の柱群はよくありますが、こちらの土柱は土の柱の集合で、世界にも珍しいものです
財力のある商人は競って大きなうだつを上げた 豪商は2階建ての屋敷にもうだつを付けた   阿波の土柱 阿波市土成町のご当地グルメの「たらいうどん」

吉野川中流域
 四国の内陸を南へ縦断して走るJR土讃線は、険しい山地を穿った吉野川の切り立った崖に沿って走っており、川の反対側の崖には国道の自動車道路が走っています。険しい山地を流れる吉野川の上流には大歩危、小歩危といった昔からの有名な渓谷の景勝地があります。またこれより東に数Kmの山奥には西祖谷村があり、昔は人が寄り付けなかった秘境です。ここで有名なのが渓谷に架かる「祖谷のかずら橋」です

大歩危
 高知からの帰りに、高知自動車道の大豊ICを出て国道32号線を山の中へ、吉野川に沿って25Kmほど走ると大歩危の舟乗場に着きます。
この辺りは深い渓谷を川が流れ、切り立った崖が続くところです。

  JRの大歩危駅よりも少し北に遊覧船の船着き場があります 船着き場は川にせり出した岩場で、川の流れが急になっています 船着き場としては難しい場所に造られていますね 吉野川がこんなに白く泡立って流れている所は他には無いでしょう
船に乗って下流へ進むと、うって変わって静かな流れになりました     東岸の崖の上にはJR、西岸の崖の上には国道32号線が走ります 岩が45度傾いているのは四国の大地に加わった地殻の大きな力の証
西祖谷村 
祖谷のかずら橋

 大歩危駅から東へ11Km、さらに山深く平家の落人伝説が残る西祖谷です。吉野川の支流で本流と少し離れて並行して流れる祖谷渓です。

大歩危の両岸の白い変成岩の壁がそそり立って美しい        
祖谷のかずら橋 渡るのは有料です   太いかずらロープでできているので揺れません でも渡るのが怖いのは足元に
高さは14mほどです   横の手摺のロープを持たないと歩けませんね やっと対岸に到着 かずら橋に並行して頑丈な橋があります
祖谷渓谷
 かずら橋のかかる川は吉野川の支流の祖谷渓です。この川に沿って北へ渓谷を下ると吉野川本流と合流します。


横の橋からかずら橋を見る     渓谷の岩場に立つ小便小僧 谷底ははるかに下です

四国東南端の室戸岬
 四国は弘法大師が若い時に修行をして回ったところで、あちこちに足跡を残しています。室戸岬はその中でも深いかかわりのある地です。また近世では高知・土佐藩は幕末に土佐藩主山内容堂や坂本龍馬、中岡慎太郎など倒幕に活躍した人たちの活動した地でもあります。
 
室戸岬の海岸
 四国の陸地の下に潜り込むフィリピン海プレート巨大な力を受けて、大地の隆起と歪の証拠を見ることができます。

室戸岬周辺観光マップ(室戸市)より 岬の突端の道路沿いには中岡慎太郎の銅像が立っています 中岡慎太郎はこれより西の安芸市の生まれです 岬の丘陵の斜面の途中にある展望台は津波の時の避難場所です
その山の頂上には室戸岬灯台が立っています パーキングに車を停めると海岸の浜辺はすぐです 太平洋の荒波を直に受ける海岸のようには思えない静かな浜でした 向こうは太平洋 室戸岬は四国造成の爪跡が残る厳しい地形です
フィリピン海プレートが押し寄せるものすごい地殻の歪が見てとれます 岩の模様は元の姿を想像しがたい ここで修行されたお大師様の像 道路と海との高低差が少ないことに違和感。津波が来たら・・・ 弘法大師が修行の合間に行水したという

ビシャゴ岩 マグマの活動やプレートの圧力がもたらした奇形です タフォニ ハチの巣みたいな白っぽい岩 遊歩道が整備されています
御厨人窟(みくろど)
 空海(弘法大師)が籠って修行したといわれる御厨人窟(みくろど)遺跡です。
エボシ岩   山側の垂直な崖にあいた2つの洞窟 左が御厨人窟、右が神明窟 御厨人窟 空海が籠ってしばらく生活したといわれる 中には5つのお社が祀られていました
最御崎寺(ほつみさきじ)
 室戸岬の先端にある第24番札所
岬の西側から車で室戸スカイラインを登り、お寺に入る分かれ道で車を降りて岬の突端の方角へ少し歩きます
ここから見えるのが空と海だけということから「空海」と名乗ったとか 神明窟 この洞窟が修業の場   海岸線の平地は地盤の隆起によるもの 山の上の最御崎寺。空海が嵯峨天皇の願を受けて開創
山門 正面が本堂 本堂 鐘石  
室戸岬灯台
 直径2.6メートルの日本一大きい第一等フレネル式レンズを備えた第1等灯台です。全国で5つある灯台の内の一つです

立派な鐘楼   最御崎寺の横を通り過ぎて先に進みます 前が開けて海が見えた。すると崖の影に灯台の頭が覗いた 柵で行き止まり。その向こうに灯台がある
海から登る朝日、沈む夕日



目の前に第1等フレネルレンズを見ることができるのはここだけ 柵よりも一段低いところに期待外れの背の低い小さい灯台があった 崖の上にあるから灯台の高さはいらないか
海岸に居て夕日を眺めていました   後ろの山の上の展望台へ上りました。海がどこまで?空がどこから? 朝日が海から出たところです 雲に反射する朝日
室戸岬から西へ、安芸市



   終わり



  明治維新を期に事業に成功し後の三菱財閥を起こした岩崎弥太郎 岩崎弥太郎の生家 家のすぐ横に立つ岩崎弥太郎の銅像  



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阿波踊り会館
 世界に誇る徳島の阿波おどりが年間を通して楽しめる施設です。1番の目玉は阿波おどりホールです。ここでは、専属連の阿波おどりを堪能し、その後一緒に踊ることができます。また、阿波おどりの歴史が楽しみながら学べる阿波おどりミュージアムや、徳島のお土産が揃う徳島県立物産観光交流プラザもあります。5階は、眉山ロープウェイ山麓駅になっています。

藍住町歴史館・藍の館
 大藍商であった奥村家の旧屋敷13棟の建物と奥村家文書が、11代当主奥村武夫氏から藍住町に寄付されたのを機に、資料館を新設し、平成元年に開館しました。
藍の栽培・葉藍の加工に使用されていた道具、江戸時代から残る大藍商の屋敷、藍の栽培から葉藍の加工や藍染を行うまでの工程を再現した紙人形など藍の歴史を知ることができます。藍染の体験もできます。

うだつの町並み
 江戸時代に阿波藍の集散地として栄えた脇町は、「卯建(うだつ)」を掲げた商家の屋敷が残ることから、うだつの町として知られています。
うだつとは、隣家への延焼をおさえるために、建物の二階部分に設けられた防火壁です。うだつを作るには莫大な費用がかかることから、いつしか富や地位の象徴に。そこから“うだつが上がる・上がらない”ということわざが生まれたといわれています

阿波の土柱
 国の天然記念物。太古の昔より土や砂礫が堆積した土地が隆起し、雨水の浸食によって削られ、長い長い年月をかけて形造られた大地の芸術。いくつもの土の柱やカーテン状の襞が林立し、見るものを圧倒します。世界に3箇所しかない世界三大奇勝とよばれます。

大歩危
 四国山地を横切る吉野川の激流によって2億年の時を経て形造られた渓谷。その距離はおよそ8km、大理石の彫刻がそそり立っているようだ。珍しい名前は、断崖の古語「ほき(ほけ)」という説と「大股で歩くと危険、小股で歩いても危険」という説がある。大歩危峡は、美しい岩石やV字谷の様子によって日本列島の成り立ちがわかる貴重な場所で、平成26年に国指定天然記念物に指定された。

西祖谷村
 徳島県の北西部、吉野川の中流域の東岸に位置する人口1600人ほどの山村。平家の落人伝説など、人里離れた山奥の山村で、かずら橋で有名。現在は近くの5町村が合併して三好市となった。

祖谷のかずら橋
 平家一族の哀話を秘める、秘境“祖谷”にあるかずら橋。シラクチカズラ(重さ約6トン)で作られたもので、長さ45m・幅2m・水面上14m。 昔は深山渓谷地帯の唯一の交通施設であった。3年毎に架替えが行われる。

祖谷渓
 祖谷渓は吉野川の支流の祖谷川で、深い山の中の谷を切り込んで流れています。西祖谷のがずら橋、U字カーブの渓谷美が見られる「ひの字渓谷展望所」や小便小僧の像などがあります

室戸岬
 高知県室戸市に属し、太平洋(フィリピン海)に突き出る室戸半島の先端の岬。国の名勝、室戸阿南海岸国定公園に指定、日本新八景、四国八十八景22番に選定されています。室戸岬の海岸において、フィリピン海プレートの沈み込み帯に沿って起こる巨大地震によって引き起こされた大地の隆起の証拠を見ることができます。

弘法大師 (空海)
 真言宗の開祖 空海。讃岐の生まれで、若い時に四国において彼が山岳修行時代に遍歴した霊跡は、四国八十八箇所に代表されるような霊場として残り、それ以降霊場巡りは幅広く大衆の信仰を集めている。その時に室戸岬の「御厨人窟(みくろど)」洞窟に籠って修行をしたときに洞内から見えるのが空と海だけなのから「空海」と名乗ったという。
その後、空海が31歳の時に遣唐使として唐へ渡り、真言密教を習得し、帰国後は高野山を開創し金剛峯寺を創立した。醍醐天皇から「弘法大師」の諡号が贈られた。

第24番札所・最御崎寺
 「ほつみさきじ」と読む。若い時に修行したこの地、大同2年、唐から帰朝した翌年に大師は、勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねこの地に本堂を建てた。元和年間(1615年 – 1624年)には土佐藩主山内忠義の援助を受け堂塔を建立、七堂伽藍を有したという。

室戸岬灯台
 室戸岬先端、標高151mの山上にあり、日本に5箇所しかない直径2.6メートルの日本一大きい第一等フレネル式レンズを備えた第1等灯台です。(千葉県犬吠埼、経ヶ岬、日御碕、角島、室戸岬)毎年11月1日に灯台祭りで内部を公開しています。

岩崎弥太郎
 三菱財閥の創始者。土佐藩の地下浪人の子として生まれ、土佐藩に職を得、開成館長崎出張所に勤務し貿易に従事、明治2(1869)年には同藩大阪商会に転じた。廃藩置県に際し藩の事業を引き継ぎ、九十九商会をおこし、後に社名を三菱商会、郵便汽船三菱会社へと改称した。台湾出兵の軍事輸送、西南戦争の軍事輸送を担当。さらに、鉱山・造船・金融・貿易など多方面への進出も試みた。