四国周遊その3(愛媛)
 四国を4つに分けて過去の写真を整理する第3弾です。四国西北部の
愛媛県には4回ほど訪れており、その時の写真を集めました。半分は
天気が悪く、暗い写真しかない所もあります。
 
今治市: 今治城、タオル美術館
  しまなみ海道(村上水軍、大山祇神社)

松山市&周辺: 松山城
  道後温泉
第51番札所 石手寺
  砥部焼
新居浜市: 旧別子銅山産業遺跡
   マイントピア別子、東平地区
大洲市: 大洲城
西宇和郡伊方町: 佐田岬(灯台)

 
     
         
今治市内
 今治市は愛媛の北東部の東予地方にあって、本州へしまなみ海道で結ぶ西の玄関です。
瀬戸内海に面して目の前が木島海峡で、瀬戸内海の東西の海上交通の要衝となっており、
今治城は瀬戸内に睨みを利かす重要な海城でありました。
今治幡・久松松平氏の居城であった 堀端に車を停めて撮影 日本三大海城の一つで、当時は海に面して堀は海に繋がっていた    
  築城は藤堂高虎によるもので記念の銅像が立っています 天守は1980年に再建されたもの 別の角度から見る天守 タオル美術館はタオル文化を提案する民間の美術館です
タオル美術館はタオル文化を提案する民間の美術館です       常設展示でムーミンがあちこちに居ります
     
         

松山市内
 松山市は愛媛県の県庁所在地であり、四国で一番大きい市です。松山城を中心に城下町が発展し、道後温泉が有名な古くからの温泉地です。文化面では正岡子規や夏目漱石ゆかりの地で、ぼっちゃんや坂の上の雲で知られる文学の街です。
愛媛県庁のすぐ隣にある松山城です 県庁のある市街地の真ん中に松山城へ登るロープウェイ駅があります 本丸の位置は標高132m、8合目までロープウェイで登るのが早道 本丸は城山の頂上にあり、二の丸、三の丸は山の麓にあります 山の上の城ですが、松山城は石垣に注目して巡るのが面白い
巽櫓の石垣の勾配の曲線美がうまく撮れなかった 太鼓櫓に向かって登る道は上からまともに攻撃を受けるところ 太鼓櫓 守りのかなめ 真っすぐ戸なし門へ向かう。上からは矢や鉄砲が降り注ぐ 左:戸なし門、右:筒井門
筒井門 筒井門の付櫓が出っ張って見えないが、付櫓の向こうにもう一つ門が隠れています 左が筒井門、右が隠れ門。筒井門の前に来た敵の背後を攻める仕掛け 筒井門を抜けると、前面の渡り櫓から攻撃を受ける 次は右へ回り込んで太鼓門へ
ここが本丸への最後の門、太鼓門です 本丸です。御殿がいくつも建っていたことでしょう 広い本丸です 松山城の天守、江戸時代の木造の天守です 松山城のマスコット よしあきくん がお出迎えです
本壇への入口 入口を固める左が小天守、右が一の門南櫓 本壇最上部の連立天守に囲まれた広場に到着。左前が天守への入口 前が小天守、左手前が天守 渡り廊下を天守へ向かう
道後温泉の方角と思います 本壇の右外側の城壁。昔の修理で積み直した石垣の跡が見える お城のすぐ横にあって観光客が立ち寄るのに丁度良いお薦め所 坂の上の雲ミュージアム フランス風の洒落た建物の萬翠荘
松山市街から一番近い四国88ヶ所霊場が石手寺です 道路からの入口にあった不思議な櫓にものすごく違和感 天女??台座も不思議?? 回廊があるのでこれを進む 絵馬堂のような??、出店もある参道??
ようやく山門に来ました 国宝の仁王門の前に鯛に乗った恵比寿様 大わらじ 広い境内 お遍路さんの一行が本堂でお経を上げていた
本堂の横にある大師堂 三重塔 三重塔の縁に並ぶのは88ヶ所霊場の砂。手を触れるだけで代参 本堂の横にあった大仙窟の入口 中は真っ暗。仕方なくライトを照らして進む
       
出口

道後温泉
 3000年の歴史を持つ日本三古湯の一つで、夏目漱石の坊ちゃんで有名な温泉です。四国に来たら一度は入るべき温泉ですね。私は3度来ています。
伊予鉄道松山市駅から坊っちゃん列車で20分で道後温泉に着きます 伊予鉄道の道後温泉駅。運行が終った坊ちゃん列車が停まっている 坊ちゃん列車 駅前の放生園にある坊ちゃんカラクリ時計。横は足湯 土日は30分ごとにカラクリ時計が動きます
温泉本館と同じ4階建てに伸び、お風呂も現れます 温泉本館の屋根にも白鷺が立っています 駅から歩いてすぐ温泉本館に到着 3階建て。 3階の屋根の上に立つ「振鷺閣」には時を知らせる太鼓があります
道後温泉本館。市営の共同浴場です 写真でよく見る玄関 2階の休憩室で湯上りをゆっくり過ごすことができます 灯りの点いた夜の温泉本館 玄関の左側面。2階は神の湯休憩室

   
夜の坊ちゃんカラクリ時計は灯りが点いて雰囲気あります 「椿の湯」 こちらも共同浴場です 松山市立子規記念博物館    

砥部
 松山の南12Kmほどにある砥部の街は江戸時代中期から続く砥部焼の町です。やや肉厚の白い磁器製品が主で、普段使いの食器や花器などが造られています。
四国の焼き物といえば砥部焼です 砥部焼観光センター 観光センターの片隅にある千山窯 時々にはこの窯で焼いているそうです これが砥部焼に使われる陶石です
砥部で最も古い登り窯が残っている梅山窯(梅野製陶所)です   本格的な6室ある登り窯です。 下で燃えた高温の炎が上の部屋へ順に流れます 焼成室の中。壁は耐火煉瓦で次の部屋へ流れる穴があります

別子銅山
 別子銅山は住友グループの高山で、日本三大銅山の一つでした。山の中に何千人が生活し、鉱山鉄道で鉱石を麓へ搬出していました。現在は住宅の跡は消え去り、高山設備もありませんが
近代の産業発展に貢献した人々の活動のあとが感じられる場所です
銅山のあとを示す道の駅です 道の駅「マイントピア別子」 鉱山鉄道を復元した列車で観光坑道のある所まで乗車 うちよけ駅に到着。乗車は約5分でした  
  観光坑道の入口     別子銅山のジオラマ
手動のくみ上げポンプ   旧保安本部の建物
鉱石の搬出の設備 採掘した功績を一時貯蔵する施設 昔の石造りの姿が半分残っています   階段状に施設が並ぶ
   
一番下には搬出のための索道の駅が造られた   東平歴史資料館    

大洲
 愛媛県の南予地方に位置する大洲市は肱川の恵みにより栄えてきた町。江戸時代、城下町として栄えた古き良き町並みは今もその面影を色濃く残しています。最近では外人観光客にも人気だそうです。
 
  江戸初期に藤堂高虎によって大規模に改築されて城郭が整った 天守は2004年に資料に基づいて木造で復元された 到着が夕方になってしまい、残念ながら城の中に入れなかった  

佐田岬
 四国の最西端の佐田岬を目指します。佐田岬半島は長さが約50Km,最も幅の狭い所で800mという細長く豊後水道に突き出ている半島です。最近になって山の上を縦走する国道が出来て車で岬の先端まで行くのには便利になった。
  先端近くの三崎港から対面する九州の佐賀関港までフェリーが運行されています。 半島の北西側は遮るものが無く、風が強く吹くので風力発電が盛んです 灯台へは車は岬の1.8Km手前までで、あとは20分ほど歩いてひと山を越えなければなりません。 「伊予の青石」と呼ばれ、佐田岬でよく見られる緑色片岩です
ひと山超えると、ようやく灯台が姿を現します 山を下って海辺近くまで下り、もう一度灯台まで登ります 白い建物の向こう側の地上18mの高さに立っています   四国最西端の碑
高さ18m 上には登れません 塔の足元が写らないと高さがイメージできない?? 対岸の佐賀関までは約14Kmしかありません 目の前600mほどは浅い岩礁(黄金碆(ばえ))があって危険です
       
目先の小島の反対側には旧砲台跡があります        

しまなみ海道
 本州と四国を結ぶ一番西にあるルートが尾道市と今治市を結ぶ瀬戸しまなみ海道です。6つの島を結び、瀬戸内の狭くて流れの速い水域を渡るいくつもの橋で鯉性された自動車道です。
他と違うのが車だけではなく、自転車でも走れるので人気があります。
  大島、伯方島、大三島は今治市です   今治側の橋の袂にある糸山公園です。 来島海峡の速い潮の流れが眼下に見えます
来島海峡第二大橋   間もなく大島です   亀老山展望台
要塞のようなコンクリート壁の間の階段を登ります 上から登ってきた階段を見下ろす 何が目的に作られた展望台?だったのでしょうか 大島側から見える来島海峡 小島が密集している瀬戸内では、古くから水域を領有する海賊がいました
村上海賊ミュージアムの窓から 海賊の使っていた和船を復活して和船漕ぎ競争のイベント 和船の操縦はなかなか難しいようです 大島と伯方島の間の海峡を支配していた村上水軍 能島がよく見えるカレイ山展望台です
能島にはこの海域を支配する村上海賊の城がありました 鵜島の右は能島(宮の窪瀬戸)、左は船折瀬戸と潮が速い難所 伯方島。船折瀬戸の展望所 潮が速い難所で、狭い水道の左には岩礁があります 伯方島を出て大三島へ
大三島橋。これも吊り橋?? 大山祇神社。伊予国の一宮、旧国幣大社の格式です。 全国にある大山積神社の総本社です。 神社ですが立派な山門があって仁王像が立っています 大山積神は海の神、山の神、戦の神で歴代の政権から信奉された
本殿正面のご神木は樹齢2600年に及ぶ 道の駅・多々羅しまなみ公園 大三島から生口島へ渡る多々羅大橋
  生口島へ 平山郁夫美術館。平山は生口島の瀬戸田の生まれです シルクロードの絵が印象的ですが、写真は・・・ 耕三寺
    終わり


 
  因島から向島へ渡る因島大橋 尾道水道    



写真をクリックすると
  ビュアーで拡大表示
  されます


 (最初から)


ビユァーのHELP


今治城
 藤堂高虎による築城で、瀬戸内海の海水を引き入れた堀からなり、当時は海から直接船でお城に入れた海城で、日本三大水城の一つです。
江戸時代中頃から明治維新までは今治幡 久松松平氏の居城であった。
今治タオル美術館
 今治市にあるタオルを通じて生活文化を提案する施設です。常設展示でムーミンがお迎えします。
松山城
 松山市の中心の標高132mの山頂に本丸がある平山城で、二之丸、三之丸は麓にありました。天守、小天守、隅櫓を渡り櫓で四角につなぎ、中庭を形成する典型的な連立式望楼型天守が木造のまま残存します
坂の上の雲ミュージアム
 小説『坂の上の雲』は、松山出身の秋山好古、真之兄弟と正岡子規の3人の生涯を通して、近代国家として成長していく明治日本のすがたを描いています。  当館では小説に描かれた主人公3人の足跡や明治という時代に関する様々なイベントを企画し、毎年テーマを変えて展示を行っています。建築は、建築家・安藤忠雄氏による設計です
萬翠荘
 風光明媚な敷地にある、1900 年代初期に建てられた純フランス風の建物で、旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したものです
石手寺
 四国八十八ヵ所霊場第51番札所の真言宗豊山派の寺院。熊野山、虚空蔵院と号す。本尊は薬師如来。遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説ゆかりの寺でもある
道後温泉
 四国・愛媛県松山市(旧国伊予国)に湧出する温泉で、3000年を超える歴史をもつ。そのシンボルは明治27年に建築された道後温泉本館。建物と大浴場はレトロな空間です。松山駅からは小型SL型の坊ちゃん列車が道後温泉駅まで走っています。
道後温泉本館
 道後温泉の中心にある温泉共同浴場。重要文化財であり道後温泉を象徴する建築物。 戦前に建築された歴史ある建物で、街のシンボル的存在であり、1994年に国の重要文化財として指定された。共同浴場は他に「椿の湯」と「飛鳥乃温泉」があります。
松山市立子規記念博物館
 松山市立子規記念博物館は、正岡子規の世界をとおして、より多くの人びとに松山や文学について親しみ、理解をふかめていただくために開設されました。現在およそ7万点の実物資料や書籍を収蔵しており、正岡子規の一生を紹介する常設展示のほか、年2~3回の特別展・特別企画展が開かれます。
砥部焼
 良質の陶土が採掘されることから大洲藩の庇護を受けて発展しました。やや厚手の白い磁器で普段使いの品が中心です。
マイントピア別子
 別子銅山は日本三大銅山の一つで、住友グループにより1691年から1973年までの283年間掘り続けられました。「道の駅・マイントピア別子」は、別子銅山開坑300年を記念して造られたテーマパークです。山岳鉱山専用鉄道を復元した鉱山鉄道や観光坑道では、別子銅山の歴史を巨大ジオラマや映像で再現、当時の採鉱を体験することができます
マイントピア別子・東平(とうなる)地区
 東平エリアは本館の端出場エリアから車で30分離れた山の中で、標高約750m前後の山中に位置し、大正時代から昭和初期にかけて別子銅山の採鉱本部が置かれ、山の町として賑わっていたところです。 別子銅山の貯鉱庫跡やインクライン跡などの産業遺産が豊富に残っています。
大洲(大洲城)
 大洲藩は約6万国で、大洲城は藤堂高虎の手で完成された城。天守は2004年に木造で昔の姿に復元された珍しい城です。
佐田岬半島
 佐田岬半島は長さが約50Km,最も幅の狭い所で800mという細長く豊後水道に突き出ている半島です。最近になって山の上を縦走する国道が出来て車で岬の先端まで行くのには便利になりました。先端近くの三崎港から対面する九州の佐賀関港までフェリーが運行されています。半島の付け根の伊方には原発があり、また半島の北西部は風を遮るものが無くて風力発電が盛んでエネルギー創生の半島です
佐田岬灯台
 佐田岬の突端に立つ地上18mの灯台は100年以上にわたって豊後水道の船舶の航行の安全を守ってきました。灯台の南沖合い650 m付近には、黄金碆(おうごんばえ)と呼ばれる大きな岩礁があり、これを照射する黄金碆照射灯が併設されています。
しまなみ海道
 瀬戸内しまなみ海道は、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの自動車専用道路で西瀬戸自動車道、生口島道路、大島道路からなります
村上水軍(海賊)
 
 村上海賊(村上水軍)は、14世紀中頃から瀬戸内海で活躍した一族である。後世には三島村上氏などと呼ばれ、能島・来島・因島に本拠をおいた三家からなり、芸予諸島を中心に活動した海賊(水軍)です
大山祇(おおやまづみ)神社
 大三島にあって伊予国の一宮、旧国幣大社の格式です。全国にある大山積神社の総本社です。神社の起源は8世紀の文献にもあらわれ、大山積神は海の神、山の神、戦の神として歴代の政権から崇拝を集めた総鎮守です。それ故に国宝・国の重要文化財の指定をうけた日本の武具類の約4割がこの神社に集まっているという。
平山郁夫
 東京芸術大学美術学部教授、東京藝術大学学長、日本育英会会長、東京国立博物館特任館長などを歴任した。広島県豊田郡瀬戸田町生まれ。シルクロードの風景や仏教美術、平和への祈りを込めた作品を描いた日本画家です