桜の大阪城

 豊臣秀吉が信長の天下を統一を引き継いで太閤となり、大阪に築いた大阪城は徳川に滅ぼされて
跡形もなく消失し、その後に建てられた徳川の大阪城が西国を睨んで徳川幕府の権威を示してきま
したが、その天守も39年目の落雷で焼失。江戸時代末期に倒幕の官軍の手に落ちた大阪城は混乱
の中で火災によりほとんどの建物が焼失してしまいました。
近代になって、昭和6年に天守閣が今の姿に復興されました。城の中に大阪砲兵工廠が造られた事
もあって、大きな戦災に遭ったが天守閣は消失を免れている。しかし徳川時代の建物で現在残され
ているのは大手門とその横の千貫櫓などほんの僅かです。
大阪市内のど真ん中にあって、遠くからは見る機会は何度もあるのですが、改めて訪れることもなく
写真も無いまま過ごしていましたが、桜のシーズンになってお花見を兼ねて写真を撮りにやってきま
した。この有名なお城に入るのは子供の時以来で、懐かしいというより初めての印象でした。其の後
偶然に大阪城の真南の外堀のすぐ傍にあるホテルで会食があって、その5階のテラスから大阪城の
全景をカメラに納めることが出来ました。

大阪城の遠景
大阪城の南側からの遠景です 目の前が外堀で、天守まで大分遠いです    
     
       

大手門から入城
外堀です。大手門を横から守る千貫櫓が石垣の上に聳えます 外堀を超えて大手門へ向かいます。
大手門と千貫櫓は徳川大阪城時代のものです
大手門 大手門を入った桝形エリア。石垣に注目
大阪城の誇る巨石の石垣。これは城で4番目に大きい石です 城内マップ 西の丸庭園の入口(有料です)。最初に西の丸に行きましょう 西の丸は大阪城代の屋敷のあった所
天守の上から見下ろした西の丸です。右端には迎賓館があります 内堀の石垣の上に天守閣が見えます 西の丸庭園は桜の名所です 桜と大阪城のベスト写真スポットです
西の丸を出て、本丸へ向かいます


石垣の上の大阪城天守閣の横顔 空堀越しに見る天守閣   内堀(空堀)を跨いで本丸へ
本丸へ入る「桜門」 大阪城で一番大きい石垣の石で、130トンの巨石です 本丸の広場。70'エキスポのタイムカプセルがここに埋 まっています 天守は昭和6年に再建されたもので鉄筋コンクリート造りです
天守は地上55m、外見5層で内部は8階です 入口の大砲は明治時代に昼の号砲として使われていました 内部は鉄筋コンクリート造りでエレベータがあります 屋根や外壁に飾られた金ぴかのシャチと虎
 
天守最上階です。望楼の廻縁へ出ることができます 南を眺めるとあべのハルカスビルや通天閣も見えます 城の北側の門「青屋門」と大阪城ホールが見えます  
       
       
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大阪城

 上町台地の端に前身の石山本願寺があって、織田信長による焼き討ちで消失した後に、豊臣秀吉が大阪城の築城を開始したのが1583年。1613年の大阪 夏の陣で落城しました。その後徳川幕府2代将軍秀忠によって1620年から10年をかけて 新たに建て直されました。この時に豊臣時代の建造物や石垣は全て埋められてしまいました。
 その後は落雷に寄る火薬庫の大爆発や1665年の落雷で天守が消失してその後も再建されませんでした。明治維新の戦乱では多くの建物が消失し、明治以降 は陸軍用地として長く使われていました。
 昭和6年に今の天守が、徳川の天守台の上に屏風絵などを元に豊臣時代の天守を模して復興されました。下の層は白漆喰の江戸時代風の外観ですが、上層部は 黒漆塗りの上に金色の虎の絵など豊臣風の外観となっています。第2次大戦の大阪大空襲では、城の東にあった大阪砲兵工廠が集中攻撃に会い、城内は大きな被害が出たが、天守は被害を免れた。




大阪城公園のMAP